効率よりも大事なのは愛しみの心

こんにちは。朝日千晴です。

今日は朝から霧雨。肌をしっとりと覆うような細やかな雨が振ったり止んだりしています。

空は灰色で少し薄暗いけれど、心は晴れやかでいようと、朝からせっせと部屋の中を片付けてみました。

床に落ちた服やおもちゃを拾って、台所に溜まった皿をひとつひとつ洗って片付けて……。そうして手を動かしていくと、少しずつですが心も整理されていくような気がします。

仕上げは頭の整理。きっかり3ページ、ノートにつらつらと思いの丈を書き出せば、本日もリセット完了。今日も1日前向きに過ごせそうです。

家事ひとつに心を込めれば、自分も家族も元気になれる?

自分や環境は変わらなくとも、気持ちの違いで見える景色や感じ方が変わってくるもの。

日々機嫌良く、朗らかに笑っていたいと思ってはいるけれど、生活を回す人としての負担やしんどさにいつも負けてしまいます。

そんな悩みを抱えていたとき、処方箋として手に取ったのが「愛のエネルギー家事」

「愛のエネルギー家事」加茂谷真紀(著)

家事本というと、「こうした方がいい」と教本のような書かれ方をしている本が多いですが、この本は一味違っていて。

「家事がしんどい」「時間が足りない」

そんな苦しい声をお聞きすることも少なくありません。

でも、こんなふうに考えることもできます。

家事とはあなたの手を使って、住む人に愛情を伝える行為。

自分自身や家族、ともに暮らす動植物たち、言葉を発することのない物たちへ、愛情を手渡すことができる。

(中略)

私は、家を明るく元気な愛のエネルギーで満たすことこそが、家事の本来の意味であると思っています。

加茂谷真紀(著)「愛のエネルギー家事」より

家事とは、自分や家族に愛を手わたす行為。その一文を読んだ時、なんだか窓から一風が吹き込んだような心地よさを感じました。

家事をやらないといけない義務として捉えるのではなく、自分や家族、そして日々の生活を守り彩ってくれるものたちへの愛のプレゼントとして考える。

そんなふうに動作ひとつひとつに心を込めることが出来たのなら、それは確かにイヤイヤやるよりも良い結果になるだろうなと、すぐに想像ができたんです。

とはいえ、家事に心を込めるってどうすればいいんだろう?丁寧にやるってこと?

ズボラが短所の私。丁寧な生活に憧れはあっても、めんどくささが先立って続かないのです。

でも、加茂谷さんが本のなかで繰り返し伝えている「心を込める」というのは、よくある丁寧な家事をすることではなく、ただ「感謝や愛の気持ちを声に出す」ことでした。

たとえば、「いつもありがとう」そう言いながら台所のシンクをやさしく磨く。

「美味しそうだね」と食材に声をかけながら料理を作る。

自分の味方、家族の一員だと思って物を扱う。

日々あらゆることに心を配り、感謝をする。自分や家族を元気にする家事の秘訣は、そんなちょっとした心配りなのだとか。

これなら私にも出来そう。そう思うと同時に、ハッとしました。自分を支えてくれている人やものに、私はどれほど感謝と愛を伝えられているだろう。

小学生のころは、短くなった鉛筆を捨てるたびに「頑張ってくれてありがとう」とお礼を言っていたはずなのに。

あのころのいつくしみを、一体どこに置いてきてしまったんだろう……。

ときには効率よりも、自分の心地よさを優先してもいい

技術の発展で生活はどんどん便利になって、出来ることも増えたけれど、その代わりに効率とかコスパとか、そういうものばかりに目が向くようになってきたような気がします。

社会に出て働くようになると、より効率が求められます。少ない時間で、いかに質の高い仕事をするか。結果ばかりが重視され、気持ちとか感覚といったあいまいなものは「無駄だ」と、どんどん削ぎ落とされていってしまう……。

でも、どんな時代であっても、やっぱり人の心を打つものってどこかに優しさや温かさが感じられるんじゃないでしょうか。

そんなものを生み出すためにはやはり普段から自分を労り、愛情深く接することが大事なのだと思います。

ときには効率より、自分の心地よさを優先したっていい。自分を労るための第一歩として、まずは今日のランチをちょっと豪華にしてみようかな。

今日もみなさんにとっていい1日となりますように!

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