
今朝ラジオを聞いていたら、直木賞のニュースが流れてきた。
受賞者の嶋津輝さんは、41歳から小説講座に通い始めたらしい。その後小説家としてデビューして、56歳で直木賞を受賞。
ラジオのコメンテーターは「夢を叶えるのに遅いことはないと、勇気がもらえますね!」とコメントしていた。
すごいなぁ、素敵だなぁと思う一方で、ちょっと違和感も感じた。夢を叶えることって、そんなに大事なことかな?と。
諦めずに夢を叶えること、大きいことを成し遂げることは、たしかに素晴らしい。
でもそれが当たり前みたいに語られると、「夢を諦めちゃダメ」「何かを成し遂げないとダメ」って、じわっと圧をかけられている気がする。

でもさ、夢を叶えなくても、幸せにはなれるよね。
そもそも、夢を持つって、楽しいことばかりじゃない。夢を持つことで、今の未熟な自分に向き合わなきゃいけなくなるから。
いつか抱いた夢を諦めても、自分の道を模索しながら、毎日を生きている。それだけで十分、すごいことなのに。
そもそも、夢のサイズって人によって違うはず。家族とおだやかに暮らしたい人もいれば、自分の趣味を追いかけたい人もいる。
誰も彼もが功績を求めているわけではないのに、なぜか賞レースに勝つとか、偉大な功績を残すとか、派手なことばかりが夢として語られ、認められる。
別に、毎日美味しいご飯を食べたいって夢があってもいいのに。
夢の基準を決められるってすごく窮屈で、しんどいことだよねと思う。
私はいつも、子どもたちにあえて、「将来何になりたい?」と聞かないようにしている。
職業で自分の未来を決めてほしくない。未来から逆算して、効率的に生きるだけが、人生じゃない。
「将来何になりたい?」じゃなくて、「今は何をするのが楽しい?」「何が好き?」と聞く。
未来って、今の延長線上にあるものだから。

私自身、子どもの頃から「将来の夢」が見つからなくて、自分の進路をはっきりと口に出す同級生たちを見ては焦ってた。
みんな、どうして未来のことが決められるのだろう?どうして私は、ずっと分からないままなんだろう?
はっきりと未来を見通せない、道を決められない自分に、もどかしさを感じてた。
でもね、今ならわかる。叶えたいことがなかったわけじゃなく、人に言えるほどの夢じゃないと、勝手に引っ込めていただけ。
子どもの頃からずっと、楽しく生きたいと願っていた。その時々で求めることを追いかけて、充実して過ごしたいと。
周りからは「何をしたいか」と聞かれるから、答えられなかっただけ。私にとって何をするかより、どう生きたいかの方が、よっぽど重要だった。
紆余曲折を経て、自分の価値観が固まって、30代半ばになった今、ようやく「何をしたいか」が見えてきた。
遅い、早いじゃない。自分の道を見つけるまでの時間は、人によって違う。ただそれだけだったんだと、今なら分かる。
焦らなくても、今を大事に過ごせばいいんだよと、そう昔の私に言ってあげられたらいいのに。
夢がなくても、夢が叶わなくても、幸せにはなれる。
今日をちゃんと生きていれば、誰だって幸せになれる。
そう思いたい。そういう世界になってほしい。と、今は思う。

